先日知人(と言ってもうら若き18歳の女性ですがw)がボランティア活動の一環でカンボジアに招待され行って来たお話をちょっと。
彼女はサッカーを通して学校にグラウンドを建てるというボランティアをやっていて、今回カンボジアのある小学校にグラウンドを寄付出来て、その村から招待され行って来たそうです。
カンボジアは貧富の差がやはり相当酷い国で、それでも小学校進学率は最近100%近くまで上がって来ているそうです。
しかし、小学校卒業はまだ少ないそうで、国の対策が望まれます。
ボランティアという活動の目的としてすぐに「金銭的援助」が上がると思いますが、僕はそこにちょっとだけ疑問がありました。
相当金額を寄付出来れば良いだろうけれど、ではどの位の金額なのか、それでどれだけの結果が残せるのか、本当の意味での支援になるのか、などなど。
今回カンボジアに行った女性も同じ事を感じていたそうで、援助してもらう事が当たり前、あるいは援助してくれるから何もしない、つまり頼ってしまっている。そんな状況もあるのでは無いかと。
実際今回行ってみてやはりその疑問がさらに膨らんだそうです。
街で物乞いをして暮らしている子供達の中には本当に生活苦の子も居れば、タバコ代や大人に使われてやっている子も多いそうです。
カンボジアでは子供の喫煙が多いそうです。
首都プノンペンから6時間ほど移動した場所にその小学校はあるそうで、村人全員が歓迎してくれたそうです、そして「今度は校舎を建て替えて欲しい」と言われたそうです。
しかし、子供達の笑顔はそうした事情とは関係なく素晴らしい笑顔で、本当に優しい子供達だったそうで、さらに日本から持っていた折り紙や色鉛筆で楽しんだそうです。
そして一番驚いたのは、普段紙も色鉛筆も無い環境で育った子供達が描いた絵の素晴らしかった事だそうで、15色程度の色鉛筆を大勢の子供に配ったので一人2本程度だったのにも関わらず、信じられない位鮮やかな絵を描いたそうです。
その子供の一人が「あなたに出会えて嬉しいけれど、外人はすぐ帰っちゃう。あなたも帰っちゃうんでしょ?グラウンドや学校やいろんなものをくれるのは嬉しいしありがたいけれど、寂しいのは嫌」
そう言ったそうです。
他の子供に「将来何になりたいの?」と質問したそうです。
「学校の先生」「弁護士」「医者」「サッカー選手」など日本の子供もきっとこう答える子供も多いでしょう。でも何故?と聞くと。
「将来困った人や子供達を助けたいから」そう答えたそうです。
さらに「世界中にはきっと僕たちみたいに困っている人も多いでしょ、だからそういう人達を助けるんだ」と・・・
彼女はこう言いました。
「本当の支援は金銭やモノじゃない、自立する方法を教える事だ」と。
確かに紙や鉛筆、サッカー出来る場所を確保するのも大変ですけれど、それをどう利用して
どうすれば「自立」に結びつくのか、その方法や結果が出た時の喜び、教育が今一番必要なのではないかと。
金を渡して、環境だけ作ってもダメな気がやはりしました。
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